社内備品とうなぎパイ

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餃子の皮と夢

会社でお茶を飲みながら、「このコップの下に敷かれているコースターがもし餃子の皮だったら」というif世界へ思いを馳せてしまい、30分くらい無駄にした。コースターがもし餃子の皮だったら、まずコップから結露した水滴が皮まで落ちてきて、表面の片栗粉が溶けてコップに引っ付くと思う。それを慎重に引っぺがして、餃子の種を乗せて包み込む。それを10回くらい繰り返して、できた餃子を熱したフライパンの上に並べるでしょ、そのあと水をじゃっと入れて蓋するじゃん。焼き餃子が出来上がるよね。仕事を中断して、ビール飲みながら食べるんじゃないかなあ。皮がたくさんあるんだとしたら、チーズも皮で包んで焼きたいなって思う。たくさん作って周りの人におすそ分けとかするだろうな。作るの手伝ってもらったりとかしてね。餃子をたくさん作って、みんなで食べる。これってすごく幸せなことなんじゃないかなあ。コースターがもし餃子の皮だったら、みんなすごく幸せなんじゃないかなあ。


年齢を重ねる毎に、叶わなさそうな夢を持ち続けることが罪であるような気がしてならなくなっていく。持ち歩ける荷物には限りがあって、取捨選択は必要不可欠で、昔からの夢とか望みとか、今まで叶わなかったものを取り出すたびに、こんなもの持っていたって、叶う確証があるわけでもなし、現実を見ようぜ、みたいな声がなんとなーく聞こえてくるようになった。これからあれをしよう、こうしていこうという前向きな気持ちよりも、なぜあの時ああしなかったのか、なぜあんなことをしたのかという後ろ向きな気持ちの方が、年を取って過去の記憶が増えた分多くなったと思う。この前の土曜日に見た夢がまさに今とは違う道を選んだ私のパラレルワールドで、その世界があまりに幸せすぎて、起きた瞬間現実との差に泣いた。
ていうか人生って気が付いたら手遅れだったってことが多すぎやしないか。高校時代あたりで一回セーブしときたかった。あの辺にいろいろ取り忘れてるアイテムとか呪文とかがある気がするんだ…


コースターが餃子の皮であるわけがないし、高校時代で人生を一旦セーブ! なんてできない。超現実の中で一瞬間だけ夢を見て、また超現実の中に戻っていく。空想しては戻ってくる。うまく行ったり来たりできる人だけが、夢を現実にすることができるんじゃないか。夢を夢見る人にとって、夢はずっと夢のまんまなんじゃないか。


日曜日、夢に出てきた場所に実際に行ってみたけど何も起こらなかった。現実がこんなもんだなんてずっと前から知ってた。今の私ができることは多分餃子を作ることくらいだ。できることからやっていくしかないんだ。