社内備品とうなぎパイ

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好きなものと将来の夢

どういう音楽が好きなの、どういう食べ物が好きなの、どういう人が好きなの。と聞かれて即答できたためしがないし、いつもばらばらとして一貫性がない。好きなことは事実だと思うし、その時は本心で答えているとも思うけれど、後から思い返すと、別にどうだっていいものを好きだと言ってしまったなと後悔することが多々ある。



本当に本当に好きなもの、本当に欲しいものと巡り合えない。服も靴も食べ物も風景も、何もかもがなかなかばちっと当てはまらない。じゃあ欲しいものはどういうものなの、と聞かれると、それはとてもぼんやりしていて、要は自分の好きなものがいい年になった今もわからないということなのだった。



自分史の中で、いつの時代を切り取っても嫌いなものだけははっきりとしていた。これはいやあれもいやとまああんまり根拠もなかった気がするけれど、嫌なものを排除する能力だけはしっかりとしていたし、今も多分そうだ。というか、私に限らず多くの人がそうなのではないか、と最近思う。おにぎりの具、服の色、流れてくる音楽、社会の仕組み、人。そして人。



嫌いな人ほど心の中ではっきりと思い浮かべられるものはないと思う。具体的にでも、特徴だけでもなんでもいいのだけれど、「好き」の理由はぼんやりしていても「嫌い」の理由はなかなかぼんやりしない。好きになるのに理由なんかいらないだろ? と少女漫画の中でイケメンが口にしますが、多分あの人たちは好きな理由がわからないのをかっこよくごまかしているだけだと推測します。



思うに、この世に存在するすべてのものは2つに分類することができるんだけど、それは「嫌いなものと好きなもの」なのではなく、「嫌いなものとそれ以外のもの」なのではないか。生き物に元来備わる危機察知能力は自分に害を及ぼすもの=嫌いなものを察知するが、好きなものは察知できない…恋は病気と言いますが、好きなものを察知できる能力がないのに好きだと錯覚していることは確かに病気かもしれない。



いや、もうそんなことどうでもいい。病気でもいい。好きなものがわからなかったら、将来の夢も描けない。私の好きなものってなんだ…嫌いなおにぎりの具はツナマヨってすぐに答えられるのに…





ひねり出した結果、下記3つが好きなものとして挙げられた。
・牛タン
・睡眠
綾野剛





私の将来の夢は、牛タンの布団で綾野剛と一緒に寝ることです。



案外悪くないな。