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社内備品とうなぎパイ

アニメとか漫画とかゲームとか映画とか

不思議とトイレの中ではへーと思うこともある

雑談

さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と
茨木のり子「さくら」より)


凹んだ床と凹んだ箪笥の扉を見ながら、怒りだとか悲しみだとかそういう感情を飛び越えて、私はただただ虚しいとしか思えなかった。それにしてもなんでこうやってすぐに凹んでしまうのだろう。床も扉も壁も椅子も、それから心も。何かが凹まされるたびに私は近所のホームセンターに行って家具用のパテを買ってきて、凹んでいるところを丁寧に埋めていく。でも心用のパテはどこにも売っていないから、私の心はいつまでたっても凹んでいるままだ。目に見えないから、誰も気にしないけれど。私以外は。

硬いものと硬いものがぶつかるせいでどちらも傷ついてしまうのだから、片方が柔らかくなればどちらも傷つかなくていいとかいう詩があって、私はそれを聞いても、へーなるほどとは思わなかった。だって誰も柔らかくなることなんてできないじゃないか。ぶつかり合って傷ついて分かり合えてこそ人間、みたいなこと言うつもりはないけれど、でも大枠そう思っている。思っているけれど、でもできれば傷つきたくはないと思う自分もいて、おろおろしている間にアクシデント的に硬い何かがぶつかってきて今日も傷ついたり凹んだり、だ。

凹んだところをパテで埋めながら毎回ぼんやりとああ私って凹んだところを埋めるために生まれてきたのかなあなどと考える。それはきっと私だけの話じゃなくて、皆さんそういった側面があるかなと思うんですけど、凹んでいる者同士凹んでいるところを埋めあって生きていくのが楽しいし幸せな生き方かもしれない。なんかあるじゃないですか。木でできた動物のパズルみたいなやつ。なんかうまいこと凸凹が合わさってるやつ。あんな感じで埋めあって生きていきたい。必要としたいし必要とされたい。家具をパテで埋めるのはもうこりごりだよ。


初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました
茨木のり子「汲む」より)