八本脚の蝶と恐怖
二階堂奥歯の「八本脚の蝶」を読んだ日、体の末端から感覚がどんどんなくなっていき、恐怖で死ぬように出来ていたかった、という一節が体中をぐわらんぐわらんと引っ掻き回しているかのような気分になった。恐怖で死ぬように出来ていたかった。でも二階堂奥歯が言うように、恐怖で人は死にませんから、恐怖で心と身体が一杯になって破裂しそうな気がしても、それはそんな気がするだけなのだから。
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オリンピック開催中のお祭りみたいな雰囲気はすごく好きで、もう終わってしまったことがとても残念だと思う。この時代に生きていて、浅田真央選手の今回のフリーの演技を見ることができて本当によかった。オリンピックを見て泣く日が来るとは思わなかった。
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二階堂奥歯の八本脚の蝶を、最初はブログで読んだ。ブログだと自殺が最初で、どんどんさかのぼっていくように読むのが一番楽なのだけれど、本になると過去から順を追って自殺までの経緯が読めるので、すさまじいスピードで死に向かっていく様子がよくわかる。それこそ高い建物から落ちていくようなイメージで。
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恐怖で死ぬように出来ていたとしたら、私はいくつもの夜の中で、何回でも死んでいただろう。小さなころもつい先ごろも、夜の帳の中で押し寄せる恐怖から目をそらすために眠りについた。迫りくる未来が怖い。のしかかる現実が怖い。影のようについてくる過去が怖い。
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個人を個人としてとらえることの難しさが恐怖を加速させる。
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動画サイトで、ラフマニノフのピアノ協奏曲に合わせて演技する彼女をぼーっと何度も見ては、毎度泣きそうになっている。恐怖の上に立たなくてはならない。恐怖で人は死なないのだから。