社内備品とうなぎパイ

アニメとか漫画とかゲームとか映画とか

10年

先日高校の同窓会で、当時の面影が色濃く残る高校時代のクラスメイト達の姿を久しぶりに見ていたら、高校時代の私と会えた。ような気がした。

 

 

今の私は過去の自分が望むような人間になれているのだろうか、とたまに考える。

 

 

高校時代の私が想像していた未来の自分の姿は、少なくとも今の私のような姿ではなかった。あのころの私は絵を描くことが好きで音楽を聴くことが好きで、漫画や本を読むことが好きで図書館が好きで、ラジオを聴きながらいつの間にか眠るのが好きで、毎日学校に行って授業を受けて放課後友達とバカなことを言って笑いあうのが好きだった。大人になったら、これら自分が好きなものに携わる仕事をするのだろうと思っていた。つまり、絵描きとか出版社の編集の人とか、ラジオの作家とか、図書館の司書とか、音楽雑誌のコラムを書く人とか、学校の先生とか、自分はそういうものになるんだと、疑いもせず思っていた。

 

 

私はいつの間にか大人になったし、あの時思い描いていた未来の自分はどこにもいない。同窓会で見つけた高校時代の私は、今の私を見て何を思うのだろう。絶望するのだろうか、それとも安堵したりするんだろうか。

 

 

あの時めちゃくちゃ悩んでいたことがなんだったのかを忘れて、あの時死ぬほど好きだった男の子の好きだったところが何かも忘れて、クラスメイトの顔も名前もあの時一緒に笑ったバカみたいな話の内容もすべておぼろげになって、思い出というきれいな名前の箱に雑多に詰め込んで、普段は思い出すこともない。それを知った高校時代の私は、今の私を恨むだろうか。

 

 

高校の同窓会の帰り道、楽しかったはずなのになぜか泣きたくなった。泣きたかったのは多分私の中にいた高校時代の私で、それが悲しみ故か嬉しさ故なのか、今の私は知ることができない。

免疫力と私

秋も深まりはじめていた昨年10月、救急車に乗りました。

 

 

~私は激怒した。必ず、かの邪智暴虐のマネージャーを除かなければならぬと決意した。私には社内政治がわからぬ。私は、末端の社員である。KPIを追い、エクセルで各種レポートを作って暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった~

 

仕事でちょっとした嫌なことがあり、私はむしゃくしゃしていた。いや、本当はちょっとしたことではないけれど、責任を負うべき人が責任を負わないことに腹を立てていて、とにかくあの日はイライラしていて、どうにかして発散してえな、という気持ちを抱いていた。

ストレスを発散する方法はいくつかある。例えば体を動かすことだったり、ゲームをしたり本を読んだり、ゆっくりお風呂に入ったり、まあこれは人それぞれだが、私はその日「食べること」でストレスを発散させようと思った。

よろしくない癖だと自覚しているけれど、体によくないものを食べまくることでストレスを発散させることが結構ある。マックとかスナック菓子とか家系ラーメンなんかをストレス解消のために食べたりする。その日ももれなくそうで、「チキンラーメンに卵とキムチとチーズを乗っけたやつ」を食べた。とてもおいしかった。

 

そこから約30分後、腹に違和感を感じた。言葉で表現するなら、「腹が心もとない」。痛いような気がするが、痛くはない。ただ普通ではない。なんか変だ、そんな感じだった。

私の腹はそこから怒涛の転落を遂げた。腹の内側から槍で突かれているような激痛。合戦でもやってるのかよ、という感じでどんどん激化していく。このときはもう何も喋ることができなくなっていた。「痛い」という言葉を喉の奥から絞り出すことしかできなかった。

 

さてそのころ、同居人はどうしていたのかというと、隣でのんびり白猫プロジェクトをやっていた。私の腹痛が、普段からよくある普通の腹痛だと思っていたのだろう。だがしばらくして、「どうやらこれは大事かもしれんぞ」と思ったらしく、救急車を呼ぶ提案を持ちかけてきた。しかし私は喋ることができない。この喋ることすらできない状況を見てお前が判断しろ、客観的に考えて冷静な判断を下すんだ、男を見せろ、そんな気持ちで低く唸りながらベッドに突っ伏する私、おろつく同居人、鳴り止まぬ白猫プロジェクトのBGM。

そこから数分間、同居人が静かになった。何やらスマホを凝視している。何してんだこいつ。そう思った私の気配を感じ取りこちらに向き直った同居人の放った言葉に驚愕した。

 

「今、救急車の呼び方を調べてる」

 

救急車の呼び方とは。電話と書かれたアイコンをタップして1を押してまた1を押したのち9を押せばいいのではないだろうか。しっかりしてくれ。もし目の前に血まみれの人が倒れていてもお前という人間はまずそうやって救急車の呼び方を検索し調べてしまうのか。1分1秒を争う局面であっても、まずwebブラウザを立ち上げて検索しなければ気が済まないのか。Googleに頼りきっている現代人の病気のようなものか。マジでしっかりしてくれ。

そんな同居人の検索の甲斐あり、無事救急車はやってきた。エレベータ-に担架が入らず、姥捨て山でばあさんを捨てるときに使ってた背負える椅子みたいなやつに乗せられて救急車に乗り込むが、正直、このあたりでもうすでに大坂冬の陣の再来かとも思われた腹痛の波はピークを過ぎ、桶狭間の戦いくらいになっており、救急隊員の方に「申し訳ない」と思えるくらいの心の余裕ができていた。

 

結果、急性腸炎ということで、医師にされるがままで点滴を受けたら痛みが信じられない速さで引いて行き医療の素晴らしさを実感した。そして深夜3時、タクシーに乗り、病院で処方された整腸剤とともに帰宅。疲労が溜まり、免疫力が低下した結果、恐らく腸に影響が出たのだろうと診断された私は、その日から新ビオフェルミンSを飲み始めたのであった。

 

ちなみにこののち、低下した免疫力は腸だけでなく膀胱にも悪影響を及ぼすこととなる。

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免疫力マジ大事。

 

 

 

膀胱炎になった話

10月中旬のある夜のこと、私は夢の中でトイレに行っていた。

 

トイレに行く夢はヤバい。これは私が28年間生きてきた中で身につけた知識の一つである。トイレに行く夢=おねしょにつながった経験、皆さんも少なからずあるのではないでしょうか。さすがに大きくなってからおねしょはしていませんけど、小さなころ何回も失敗してきているので、大人になった今でもトイレに行く夢を見ているだけでなんとなく怖い。

 

夢の中で、私は「ヤバいぞ」と思っていた。トイレに行く夢を見ていることに気付いたからだ。トイレから出なくてはならない、夢の中で絶対に用を足してはならない。それはつまり、おねしょにつながるからだ。ベッドのマットレスの替えなどない。早くトイレから出よう…! そう思い、私はトイレの出口を探したが、出口がどこにもない。閉じ込められた! と思った。現実の私は相当トイレに行きたいらしい。早く起きろ、起きて現実世界のトイレに行くんだ…! と強く思ったところで目が覚めた。

 

おねしょはしていなかった。危機管理能力高すぎるやろ…とほくそえみながらベッドから起き上がり、現実のトイレで用を足していると、いくつか違和感があった。まず、いつもよりも量が多い。「あら、まだ出るの?」と思わず話しかけそうになるくらい量が多かった。あとなんか色がおかしい。そして出しても出しても残尿感がある。体調が悪いのかな、今日は早く帰ろう、そう思いながら出勤したものの、電車の中でもとにかくトイレに行きたくて仕方がない。私が屈強な精神力を持って止めていたからいいものの、もう少し心が弱かったら危うく公衆の面前で漏らすところだった。

 

会社に着き、人としての尊厳を失う前にトイレに駆け込んだ私の尿道を襲ったのは、針で刺されたような鋭い痛みであった。同時に、

 

「ま”ッ…!」

 

という声が出た。けっこう大きめの。宇多田ヒカルの「ぼくはくま」という曲の最後の方、「ぼくはくま くく くま まま くま」という歌詞の「まま」の部分の歌い出しの感じにそっくりだった。

 

めちゃ激辛のキムチチゲが尿道から出てきてるんちゃうか、というくらいの痛みがあり、これは尋常じゃない、私の体内(というか尿道)で何かが起こっている、と強制的に理解させられた。

 

排尿し終わり、恐る恐る便器を見ると、そこにはピンク色の世界が広がっていた。誰か便器にバスクリンでも入れたの? と思われるほどにピンク色のそれは、私に「血尿」の2文字を彷彿とさせた。

その後、10分おきに尿意が襲ってくるようになる。仕事中なのに10分ごとにトイレに行く同僚がいたら、普段の私なら「なんだあいつ、サボってんかよ」と思うところだが、サボっているのではなく私は血尿なんである。トイレの中ですぐさま「血尿 和らげる」でググるも、「泌尿器科に行きましょう」しか出てこない。こちとら28歳の麗らかな乙女である。アジアンカンフージェネレーションの4人をこね合わせたみたいな男の上司に「血尿が出ているので今から泌尿器科に行ってきます」なんて言えるわけねえだろうがスカタンが。

ネットは当てにならない。そう思った私は、水を大量に飲み、とにかく毒素を出そうと思い立った。排尿時に尿道が痛い理由は、恐らく尿の中によくないものが混じっているせいだと思われる。ということは、尿をほぼ水にして毒素を薄めることで、痛みが軽減されるのではないか、と考えたのだ。ジーニアス。結果的にこれが効き、排尿時ずっと「ま”ッ…!」だったのが、排尿のラスト部分のみ「ま”ッ…!」となるだけに至った。

 

とはいえ、血は止まらないし、何なら色は濃くなり始めて、便器はピンクではなく赤くなるようになっていたので、次の土曜日に泌尿器科に行った。

 

泌尿器科には、おじいちゃんと若い男性がいた。一見共通点がないように見える3人だが、実のところ皆同じく泌尿器に難を抱えているのかと思うと、心強さを感じた。とにかく尿道の痛みをどうにかしてほしい。尿を検査して、原因を解明して薬を処方してくれ、私の尿を見てくれ!! 早く!! という気持ちを押さえながら、待合室で尿検査の結果を待った結果、私は膀胱炎だった。

免疫力が低下するとかかることがままあるらしい。抗生剤を処方され、私は5日間それを飲み、見事膀胱炎を克服した。案外簡単に治る。キムチチゲ放出状態だったのに。

 

皆さんに申しあげたいことは、膀胱炎は痛いので、すぐに病院に行きましょう、ということであります。すぐに病院に行けない場合は、水をとにかく大量に飲み、どんどん排出することで痛みを和らげることができる場合がございます。免疫力が低下すると、発症する可能性が高くなるので、普段から休息と栄養を取り、昼間は交感神経を優位にし、夜は副交感神経を優位にする努力をすることで、膀胱炎を未然に防ぐことができます。皆さんも健康には気を配り、健やかな排尿ライフをお送りください。

 

それでは。

星野源とaikoと人生

最近、風呂場から星野源の「恋」が聞こえてくる。今絶賛ドラマ放映中の「逃げるは恥だが役に立つ」のエンディングテーマである。なぜ風呂場から歌声が聞こえてくるのか、お前の家の風呂場には志半ばで命を落とした星野源の追っかけの霊でもいるのか、そう思われる方もいるだろうが安心してほしい。決して心霊現象などではなく、同居人が風呂場で歌を歌っているだけだ。

 

なぜ星野源の歌を風呂場で歌っているのか、私は知らない。ただ、ちょっと前に「息を吐きながら歌うと、星野源のような歌い方になるという噂をネットで見た」と言っていたので、恐らくそれの検証をしているのだと思う。検証はいいのだけれど、如何せん同居人の声は星野源のそれとは程遠いため、息を吐きながら歌っても似ることはない。リビングで聞いていると過呼吸の人が無理やり歌を歌っているように聞こえることもままあり、徹底的に星野源ではない。正直なところ、たまにうるさいとも思っている。しかし、自分の中に星野源を見出そうとしている人を私の一存で止めることはできないとも思う。飽きるまでやらせてみよう、気が済めばそのうちやらなくなるだろう…という気持ちで今はブレス多めで過呼吸スレスレの歌声を聞いている。

 

同居人の歌声を止められないのにはもう一つ理由があり、私も風呂場で大声でaikoを歌っているからである。恐らく同居人もまた私と同じような気持ちを抱いているに違いない。星野源に対するaiko。よく考えると凄まじいものがある。向こうはもしかすると「あてつけか?」と思っているかもしれない。そうやってみんな周りに迷惑をかけながら生きているのだ、生まれた瞬間から、人は誰かに助けられて、自分を誰かを助けながら成長していくようにできているのだから…。

 

アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージと私③

私はノーマルガチャで一ノ瀬志希と出会った。

 

 

一ノ瀬志希(以下、志希ちゃん)は18歳現役女子高生であり且つケミカルアイドルである。いわゆるギフテッドであり、化学が専門分野で海外に留学し飛び級をするほどの女子高生離れした頭脳を持ちながら、「なんかつまんないから」というそこは女子高生なのかよ、というような理由で日本に帰国、よくわかんないけどアイドルにスカウトされ、今は私の事務所で恥ずかしい恰好をして毎日歌い踊らされている。

 

志希ちゃんはかわいい。口がwみたいな形をしている。そして天才的に頭がいい。初めての仕事でも、すぐにコツを掴んで最大限のパフォーマンスを上げる。使える人材である。女子高生ながら、もうその辺の社会人より仕事ができそうな感じがある。アイドルやめて女子高生社長やりなさい、と言いたくなる。ところがもうデレステには「女子高生社長アイドル」というキャラクターが既に存在しているので、志希ちゃんが女子高生社長になることは叶わない。残念だ。

 

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志希ちゃんにノーマルガチャで始めて会ったとき、私はこの子を宇宙一のアイドルにする使命がある、と思った。思い立ったらすぐ行動である。私は課金した。脊髄反射で課金した。ちょうど当時、デレステではスペシャルガシャセットというものがあり、一定金額課金したユーザーにスカウトチケットなるものが配布され、任意の女の子を決め打ちでスカウトできるという素晴らしいシステムがあった。私は即SSレア志希ちゃんをスカウトした。脊髄反射でスカウトした。その日から、私と志希ちゃんの二人三脚の日々が始まったのである。(続く)

アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージと私②

〜前回までのあらすじ〜
俺は28歳独身、IT企業勤務の女。大好きな逆転裁判最新作のプレイデータの一部を失い、黒づくめの3DSの画面をぼーっと眺めていた。
数時間をパアにして呆然としていた俺は、気まぐれでインストールしたアイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージ(以下デレステ)というアプリをインストールした。俺はそのアプリ内に現れた、渋谷凛ちゃんという激マブ美少女に、心を奪われてしまった!!

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このデレステなんですけど、リズムゲームでありながら、アイドル育成ゲームでもあるんですよ。プレイヤーはプロデューサーっていう設定なので、自分がどのアイドルを育成するか、つまり推しメンを決めなければならんわけです。私はもう真っ先に渋谷凛ちゃんを育成することに決めた。彼女を伝説化する…それくらいの気持ちで、渋谷凛ちゃんをセンターに据えたのであった。


その結果、すぐにカンストした。


デレステのアイドルにはレア度が存在する。レア度はそれぞれノーマル、レア、Sレア、SSレアの4種類があり、アイドル個人個人に上記4種類のレア度が存在する。つまり一口に渋谷凛と言っても、ノーマル渋谷凛、レア渋谷凛、Sレア渋谷凛、SSレア渋谷凛が存在するということになる。レア度が低ければ低いほど成長上限も低い。そして、ノーマルはレアにランクアップすることはできない。ノーマルがノーマル+になることはできるけど、それまでだ。レアにもレア+があるけどそこまで。レア度の壁を超えることはできない。
私がセンターに据えた渋谷凛ちゃんはレア渋谷凛。一瞬でレア+になり、もうこれ以上成長しないというところまで育て上げることができてしまった。なんていうか、辛い。凛ちゃんはこんなにもかわいいのに、彼女はこれ以上成長することができない。これでは、伝説になどなれないのではないか。SSレア渋谷凛ちゃんにしなければダメなのではないか…?



そんなもやもやした気持ちを抱きながら、私はローカルオーディションガシャを引いた。これはノーマルアイドルが出てくる無料のガシャである。そこで私は、またもや運命の出会いを果たすのだった。



一ノ瀬志希、彼女こそ、レア+渋谷凛ちゃんの夢を引継ぐ伝説のアイドル候補生なのであった。

(続く)

アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージと私①

アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージというアプリがある。

アイドルマスターとはアイドル育成シュミレーションゲームであり前述したアイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージとはそこから派生したアイドル育成シュミレーションの要素を持ったリズムゲームアプリである。

今、私はこのアイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージにハマっている。

単語が長すぎるので、便宜上アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージのことは以後「デレステ」と呼ぶこととする。

私がデレステをインストールしたのはお盆休みも真っ只中の8月中旬、逆転裁判最新作のプレイを電源入れたまま中断して家事にいそしんでいたところ3DSの電池残量がなくなってセーブをしないままゲームが落ちてしまい、4時間ほどのプレイデータが消え去ったあとのことであった。

私は無力感に襲われていた。王泥喜くんが一生懸命集めた裁判に使うための証拠品がすべてパアになったのですから無理もない。もう逆転裁判はしばらくやりたくない。でもなんかゲームしたい

そうだ、アプリをインストールしよう

まあざっとこんな感じですね。

デレステを選んだのは完全に気まぐれでしかなかった。かわいい女の子を意のままにしたいという願望がなかったわけではないがとにかくただなんとなくという気持ちでインストールしたに過ぎない。

そんなこんなでインストールが完了し、諸々の登録を終え、チュートリアルを終えた私を待ち構えていたのは、渋谷凛ちゃんという少女だった。


何この子激マブじゃない? 顔見ただけでどんなキャラかわかるくらい完成されすぎてない? 普段クールではしゃいだりとかしなくてちょっと無愛想なんだけどふとした瞬間に見せるはにかんだ笑顔とか驚いても表情に出すまいとして結果ちょっと不安そうな顔になっちゃったりとか動物には優しく接したりとかするところが最高にかわいいタイプの子じゃないこれ? 何かに熱中することがないように見えて心の中では静かに燃えてるみたいな、そういう子でしょこの子決めた私この子のプロデューサーになる今日から凛ちゃんは私の娘だよ…!





かくして、私のプロデューサー人生は渋谷凛ちゃんという激マブ少女とともに幕を上げたのであった。

(続く)