社内備品とうなぎパイ

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出産の痛みは例えるならすさまじい下痢痛

前回妊娠中のこと書いたので出産時のことを備忘録がてら書きます。
一生のうちあんなにも頑張ることは今までもこれからもなかなかねえなと思った。

【出産3日前】
出産の兆候として股から血が出る「おしるし」と呼ばれるものがあるんですが、こいつが本当に急に出てくる。こんちわーみたいな感じで下着についてるのでトイレでおおう、とうめいた。
これが出たからといって即出産! というわけではなく、あくまでもうちょっとで出産するやで、みたいなゆるい感じのやつで、お腹痛いとかじゃなければ焦らなくてよし(by助産師)とのことだったので特に何もしない。普通にごはん食べて寝た。

【出産2日前】
朝からだるい。1時間に1回、30秒~1分くらい長さで腹に痛みがある。前駆陣痛というやつです。
陣痛の前に、陣痛らしき痛みがやってくるのがこの前駆陣痛。陣痛は10分以下の間隔で規則的に来るのに対し、前駆陣痛は間隔がバラバラで痛みも小さめ、らしい。
夕方くらいから間隔が短くなり、20時頃には15分毎、22時には10分前後毎になる。例えるなら下痢の時の痛みに近い。もちろんトイレに行っても何も出ない。これは陣痛だ! と思った。
病院に連絡すると、一旦来てくださいと言われる。初産だと陣痛が10分毎にやって来たら病院に連絡してね、というのが普通らしい。緊張しながらタクシーで病院に向かい、先生に診てもらうも、子宮口が開いておらず、陣痛の間隔も開いてしまい帰宅指示が出た。本陣痛ではなく前駆陣痛だったというわけである。
前駆陣痛と本陣痛の違いは、初産だったらもう絶対にわからないと思う。何てったって基準がないから。私の場合前駆陣痛の時点でもう大分痛みがあり、声が出せなくてベッド殴るくらいだったので、この時の「子宮口開いてないです」という一言に絶望した。
家に帰って横になるも、腹は普通に痛いので寝られない。うとうとしても10分間隔の陣痛的な痛みで目が覚める。地獄。ニセ下痢痛に翻弄されながら、眠れないまま朝を迎えたのであった。汗だく。

【出産1日前】
あまりにも痛いので朝8時頃夫と病院に向かい、検査するも再度子宮口が開いてないと言われる。嘘だろ…こんなに痛いのに…
私が痛がっているからか、入院決定。このとき陣痛の間隔は15分程度まで伸びていた。
10分間隔に戻った頃、腹部に激痛。凄まじく腹を下したときのような痛み。呼吸だけで痛みを逃せず、4人部屋の病室で思わず大声が出た。ナースコールを押し、もう無理です、と告げると2人部屋の陣痛室に移動することに。
陣痛室でもひどい痛みは継続。痛いと叫びながらベッドを殴り、夫に引かれる。あまりにも痛がるので検査をするも子宮口が開いてないと言われて、いい大人なのに本気で泣いた。ちなみに子宮口は10センチ開かないと産めないんですわ…10センチて…
陣痛が来ていないタイミングで歩き回ったりスクワットしてみたりする。ていうか陣痛が来ていないときでもだいぶしんどい。タイミング見計らってトイレに行った帰りに陣痛が来たりすると地獄。何回もトイレ付近でうずくまり痛い痛いと唸る。地獄。
そんなこんなで夜になるまで凄まじい下痢痛を抱えながらベッド殴ったり叫んだりしていた結果、陣痛室が一人部屋になる。多分うるさかったんだと思う。
20時頃母が来る。夕飯を食えと助産師に言われたけど食えるわけがねえ。食べたら子宮口確認しますと言われたので無理やり汁物だけ流し込む。
このあたりで痛みに吐き気が伴うようになる。実際吐くと呼吸が乱れる気がして、吐きそうなのをこらえながら痛みを逃すように。
終電ごろ、夫帰宅。助産師に帰れと言われたので。最高に心細くなる。その後母も帰宅。泣いた。

【出産当日】
~深夜~
この日の夜が痛みの最高潮だった。陣痛の波が来るたびに獣のように叫んだし、冷房めっちゃ効いてるのに全身汗だくだったし、酸素が足りなくて体の末端の方は痺れてた。たまーに助産師が来て背中さすったりお尻押さえたりしてくれたけど、申し訳ないけど痛みの波のたびに来てくれないと意味ねえから、と思った。
あまりの痛さに「今から帝王切開にできたりしねえかな?」と考えたり、「あれ? もしかして死ねばこの痛みから解放されるのでは?」と考えたり、「なんで無痛分娩にしなかったんだ馬鹿馬鹿」と自分をなじったりした。なぜ21世紀にもなって、こんなに原始的な出産方法が常識としてまかり通っているのか不思議でならない。あの痛みは後世に残すべきではない。

~明け方~
4時頃、トイレに行ったら下着に血がついていた。助産師に報告せな、と思って陣痛室に戻る途中で痛みの波が襲来。誰もいない廊下で尻を押さえながら助けてください! と叫ぶも誰も来ず、へろへろ陣痛室に戻りナースコール。ちなみに高位破水していた。このときでやっと子宮口4、5センチくらい開いてた気がするがもうよく覚えていない。
痛みの間隔は何だかんだずっと10分間隔だったように思う。本当だったらこの間隔がどんどん狭まってきて、それにともない痛みも強くなってきて、出産に至るわけです。間隔が10分ならまだ痛くないはずだよ~、って助産師が言ってたけど死ぬほど痛かった。体全体が痛みに占拠されてそれ以外のことが何も考えられない。痛みがやって来るたびに目の前に白い高い壁が立ちはだかる幻覚が見えた。

~朝~
朝6時頃、助産師に子宮口をグリグリされたこともあり8、9センチまで広がる。夫がやって来て、分娩台へ移動。やっといきめる!と喜ぶも、まだあと1時間くらいいきめないと言われて絶望。泣いた。尻の穴にテニスボールを当て、自重でいきみをのがす技を助産師に教わるも、一回しかうまく逃せず、その後はいきみたいという生理的欲求を理性で押さえなければならず、うまく呼吸もできなくなる。
いきむと何がよくないって、胎児が呼吸できなくなるらしい。そんなこと言われても、って感じになるくらいめちゃめちゃいきみたくなる。すさまじい下痢痛があって、いきんだら出せそう! って思ったらみんなトイレ行っていきむでしょ。出産はいきんじゃダメって言われるんですね。辛いわ。
そうこうしているうちに出勤前の母も襲来。しばらくすると股間辺りに丸いなにかが現れる感覚があった。丸いなにかが!ある!と大声で言うと、そりゃ赤ちゃんの頭は丸いから当たり前でしょ、四角かったらどうすんのと母が冷静に返してきて、それもそうだなと朦朧とした頭で納得した。つまり子宮口から赤子の頭が出てきたということだ。あともうちょいで生まれる。
子宮口からとうとう頭が出たので、助産師が数人集まり分娩するしない、先生呼ぶ呼ばないの相談をしていたが申し訳ないけど早くしてくれと思った。モタモタすんな。
先生が来て、手で胎膜を破られ本格的な破水。やっといきめるタイムに突入し、陣痛来たらいきんでいいからねと言われる。が、この頃はもう陣痛の痛みがよくわからなくなっていて、え、いついきめばいいのかわからん!とテンパった。結局いきむタイミングを先生に聞くという間抜けなことに。あとなんかこのあたりで会陰切開された気がする。痛くはなかった、というかそんな痛みは屁でもないくらい陣痛が痛いはずで、その陣痛の痛みがわからなくなるくらいテンパっていたのだから会陰を切られた痛みなどわかるはずもない。
赤子の頭が出て途中で止まると息ができない。それはイコール赤子も息ができないということで、息して!息!とそこにいるみんなに言われる。言われてもできねえもんはできねえ。何回かいきんだけどそのうちの何回かは記憶がないし最後の方は目の前が真っ白だった。
そんなこんなで出産。正直感動とかはなく、達成感とやっと終わったという安心感だけがあった。大きな仕事やり遂げた感に近かったかも。打ち上げいくぞ!みたいな感じ。行けないけど。

助産師が目の前に赤子を持ってきてくれた。生まれたばかりの赤子は力なくふにゃふにゃ泣いており、赤いような青いような色をしていた。こんにちはと挨拶をしたら赤子はすぐにどこかに連れていかれてしまい、夫と母も一緒にどこかへ。分娩台に残された私に待っていたのは後産の処理であった。
つまり胎盤を腹から出したり、会陰切開のあとを縫ったりするわけだ。胎盤は腹をこれでもかというほどぎゅうぎゅう押され、力業でドゥルンと出てきた。地味に痛かったのが会陰縫合。親の敵のように縫われた。何回針刺すんですか?って先生に聞くくらいには刺された。あと私は子宮内部も切れてたらしくて器具入れてそこも4針くらい縫った。痛かったなー。
縫合が終わったところで、母がひょっこりやって来て、じゃ私仕事行ってくるから、とクールに去っていった。

本陣痛から18時間で出産。平均は17時間らしいのでおおむね平均通り、特にトラブルもなく安産、とのことだった。安産! あんなに痛かったのに安産! 死ぬことまで考えたのに安産! 信じられない。

とにかく陣痛は痛い。痛みは忘れるよーっていろんな人が言うけど私は忘れてない。もう二度としたくない、というのが率直な感想です。もし次があるとしたら絶対に無痛にする。

4DX行けないのは地味に辛かった

紆余曲折あって出産した。今私の腹の上には小さい人間がいて寝息を立てている。

妊娠が発覚したのは昨年12月、忘年会シーズンでアルコール不可避な時期だったので途方にくれたのを覚えている。今まで飲み会とあれば死ぬほど酒を飲んでいた私が急に酒を飲まなくなったらおかしい、だけど妊娠超初期で報告するのもおかしい、というわけで飲み会そのものに必要以上に参加しないようにした。どうしても参加しなければならない飲み会ではビールを頼んで一口なめるように飲み、「風邪引いてるんでお茶にします」と言って乗りきることに成功。まるで毒を盛られてるとわかりながらもそれが敵にばれないよう振る舞うサスペンス映画の主人公のような行動。
ご多分に漏れずつわりもあった。まず肉が食べられなくなって、米も受け付けなくなった。うどんがギリ食べられたのでそれだけを摂取する毎日。常にトマト味を欲するようになり、うどんにトマトと納豆をぶちこんだものが主食になった。スーパーに入っただけで気持ち悪くなり、好きだったチーズも粘土を食べてるようで受け付けなくなり、ひどくなると水すら飲めなくなって、レモン炭酸水をだましだまし飲んで生きていた。妊娠中つわりが起こる理由は解明されていないらしい。人類が地球上に誕生してこれだけの年月が経ち文明も進歩してるのに繁殖にまつわることでわからないことが未だにあるって何?
ただ、私はつわりが2週間くらいしか続かなかったのでまだ全然、めちゃくちゃラッキーだったと思う。人によってはつわりで入院したり、吐きづわりが臨月近くまで続いたりすることもあるらしい。マジでなんなんだ。そうなることになんの意味があるんだよ。しかもこのつわりの時期は腹が出てないから電車でなかなか席を譲ってもらえないし、初期も初期の方だから職場に報告できない人も多い。私も無理して我慢した。休みゃよかった。

妊娠中はストレスをためないことが胎児にとって一番大切なことですよ、と助産師に言われるが、はっきり言って妊娠中なんてストレスの嵐だった。食べ物飲み物は制限されて、なまものは食べられないし酒も飲めない。カフェインも好きには飲めない。塩辛いものを食べすぎると健診で注意されるしそもそも食べすぎて太ると健診で注意される。妊娠中って本当に簡単に太るので、今の体重を次の健診までキープしてくださいとか簡単に言う医者いるけど本当にめちゃめちゃ大変なの体重キープって。激しい運動もできないし、本当に大変なの…!!
そして腹が出てくると好きな服を好きな風に着ることができない。これもストレスだった。タイトなトップスは入らないしボトムスはウエストがゴムのやつじゃないと入らない。マタニティ服はなぜか全部ダサいし、そもそも自分の見た目が急速に変化していくこと自体がかなり嫌で、自分のでかい腹に慣れるまでは鏡を見るたびイラッとした。
胎動がなくなると不安になりストレス、胎動が激しすぎても不安になりストレス、腹痛があるだけで不安で色々検索しストレス。面倒な妊娠出産にまつわる書類の準備提出。その他貧血症状、全身のむくみと関節の痛み、足の付け根に起こる謎のひきつり、目のかすみ、難聴など、妊娠中に起こった不調の原因は全て妊娠によるものだった。ストレスー!妊娠してること自体がすでにストレスー!

妊娠中楽しかったことは?ともし聞かれても特にないと答えてしまうと思う。いや確かに胎動があったりとか名前を考えたりとか楽しいこともなくはないんだけど、それを上回って不安とか不調とか思い通りにならないことが多すぎるんである。私は今後街で妊婦を見かけたら本当に優しくしようと思うよ。電車内で席も譲るよ。妊婦に大変じゃない時期なんてただの一日もないんだよ…。今ならわかるんだよ…。

というわけで今絶賛子育て中です。毎日白目剥きながら生きてる。

あまりの熱さとアウトプット欲

今年の夏は熱い。暑いとかいう感じをあてる次元ではない。外に一歩出るだけで具合が悪くなる。裸で外出してちょうどいいくらいの気温じゃなかろうか。日本列島が本気出して日本人を根絶やしにかかっている。


訳あって仕事を休んで数週間が経ち、日々暇で仕方がないため、外に出て暇潰ししたいのは山々だが、こんな気候では気軽に外にも出られない。今日は近くのスーパーに買い物に出ただけで体調を崩した。おそらく気温差である。早く休もうと買い物を足早に済ませてさっさと帰ってきたら、買いたいと思っていた鶏肉を買い忘れた。ガッデム。
こんな中で働く人たち、特に外回りの人には敬意しかない。死ぬだろ。普通に考えて。ビアガーデンも流行らないレベルで暑いぞ。


前の職場で営業してた頃、夏の暑さはマジで地獄だった。会社から駅まで向かうのがまずダルく、地下で繋いどけや、会社から駅を、と常に思っていた。職場がいわゆる下町にあったせいで歩道は老人が占拠していることが多く、ゆっくり歩くご老人の後ろをゆっくり歩かなければならない地獄を味わったこともある(通ります、とかすみません、という言葉は彼らには届かないことが多々あります)。速度で言えばBOOM BOOM SATELLITESのBROKEN MIRRORの一番最初くらいの速さ。溶ける。


でも今年は例年の比ではない。フェスとかもヤバそう。今年はどこにも行く予定ないけど、もしあったら保冷グッズで全身を覆うくらいのことしないと死ぬ。みんな気を付けてほしい。


というわけで暇すぎてブログ更新してみた。特に中身がなくて唖然とする。人としゃべらない時間がここ最近長すぎるのでアウトプット欲が止まらないかなと思ったらそんなことなかった。まあインプットも特にしてないからな。

そのテンションに馴染めない

英語が公用語の日本企業において、従業員は2種類に分けられる。

英語に違和感なく馴染める人間と、そうでない人間。

ちなみに私は後者である。

 

私に英語力はほぼない。ゆっくり話してくれたら何となくわかるかな、程度だ。早口で来られたらもうお手上げ。もうお前の言うとおりにします、という感じ。メッセの方がありがたいけど、返答は遅いし打つのも遅い。無理。今のところ仕事に支障を出したことはないが、無理。

 

私は英語に馴染めていないと先ほど申し上げたが、別に英語ができないから馴染めていないとかそういうことではない。英語と仲良くなれないのには別の理由がある。

 

英語、テンション高すぎませんか。

 

今日英語で別部署からアンケートが来た。業務に関係ないこともないけど答えなくても大丈夫なアンケート。私はこういうアンケートには毎回答えるようにしている。自分が送る側になった時、回答数が少ないと凹むからだ。持ちつ持たれつでこの世は回っている。

 

アンケート終了後に遷移したページでああ本当に英語に馴染めねえ、と思った。そこには「アンケート答えてくれてサンキュー!お前もいつか使うことになるであろうページがあるからチェキラ!」みたいなことが書いてあった。

 

日本人が日本語で作ったアンケートの場合、アンケート終了後の画面には恐らく「回答いただきありがとうございました。今後以下のページを利用しただくこともあるかと存じますので、もし宜しければご確認ください」程度の控えめな文章が並ぶことだろう。チェキラて。普段使う?

 

こういう異文化ギャップが日常茶飯事なのが英語公用語企業である。私が英語を今以上に使えるようになったところで、この溝は埋められないような気がする。

10年

先日高校の同窓会で、当時の面影が色濃く残る高校時代のクラスメイト達の姿を久しぶりに見ていたら、高校時代の私と会えた。ような気がした。

 

 

今の私は過去の自分が望むような人間になれているのだろうか、とたまに考える。

 

 

高校時代の私が想像していた未来の自分の姿は、少なくとも今の私のような姿ではなかった。あのころの私は絵を描くことが好きで音楽を聴くことが好きで、漫画や本を読むことが好きで図書館が好きで、ラジオを聴きながらいつの間にか眠るのが好きで、毎日学校に行って授業を受けて放課後友達とバカなことを言って笑いあうのが好きだった。大人になったら、これら自分が好きなものに携わる仕事をするのだろうと思っていた。つまり、絵描きとか出版社の編集の人とか、ラジオの作家とか、図書館の司書とか、音楽雑誌のコラムを書く人とか、学校の先生とか、自分はそういうものになるんだと、疑いもせず思っていた。

 

 

私はいつの間にか大人になったし、あの時思い描いていた未来の自分はどこにもいない。同窓会で見つけた高校時代の私は、今の私を見て何を思うのだろう。絶望するのだろうか、それとも安堵したりするんだろうか。

 

 

あの時めちゃくちゃ悩んでいたことがなんだったのかを忘れて、あの時死ぬほど好きだった男の子の好きだったところが何かも忘れて、クラスメイトの顔も名前もあの時一緒に笑ったバカみたいな話の内容もすべておぼろげになって、思い出というきれいな名前の箱に雑多に詰め込んで、普段は思い出すこともない。それを知った高校時代の私は、今の私を恨むだろうか。

 

 

高校の同窓会の帰り道、楽しかったはずなのになぜか泣きたくなった。泣いたのは多分私の中にいた高校時代の私だと思った。それが悲しみの涙なのか、嬉しさの涙なのか、今の私は知ることができない、

免疫力と私

秋も深まりはじめていた昨年10月、救急車に乗りました。

 

 

~私は激怒した。必ず、かの邪智暴虐のマネージャーを除かなければならぬと決意した。私には社内政治がわからぬ。私は、末端の社員である。KPIを追い、エクセルで各種レポートを作って暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった~

 

仕事でちょっとした嫌なことがあり、私はむしゃくしゃしていた。いや、本当はちょっとしたことではないけれど、責任を負うべき人が責任を負わないことに腹を立てていて、とにかくあの日はイライラしていて、どうにかして発散してえな、という気持ちを抱いていた。

ストレスを発散する方法はいくつかある。例えば体を動かすことだったり、ゲームをしたり本を読んだり、ゆっくりお風呂に入ったり、まあこれは人それぞれだが、私はその日「食べること」でストレスを発散させようと思った。

よろしくない癖だと自覚しているけれど、体によくないものを食べまくることでストレスを発散させることが結構ある。マックとかスナック菓子とか家系ラーメンなんかをストレス解消のために食べたりする。その日ももれなくそうで、「チキンラーメンに卵とキムチとチーズを乗っけたやつ」を食べた。とてもおいしかった。

 

そこから約30分後、腹に違和感を感じた。言葉で表現するなら、「腹が心もとない」。痛いような気がするが、痛くはない。ただ普通ではない。なんか変だ、そんな感じだった。

私の腹はそこから怒涛の転落を遂げた。腹の内側から槍で突かれているような激痛。合戦でもやってるのかよ、という感じでどんどん激化していく。このときはもう何も喋ることができなくなっていた。「痛い」という言葉を喉の奥から絞り出すことしかできなかった。

 

さてそのころ、同居人はどうしていたのかというと、隣でのんびり白猫プロジェクトをやっていた。私の腹痛が、普段からよくある普通の腹痛だと思っていたのだろう。だがしばらくして、「どうやらこれは大事かもしれんぞ」と思ったらしく、救急車を呼ぶ提案を持ちかけてきた。しかし私は喋ることができない。この喋ることすらできない状況を見てお前が判断しろ、客観的に考えて冷静な判断を下すんだ、男を見せろ、そんな気持ちで低く唸りながらベッドに突っ伏する私、おろつく同居人、鳴り止まぬ白猫プロジェクトのBGM。

そこから数分間、同居人が静かになった。何やらスマホを凝視している。何してんだこいつ。そう思った私の気配を感じ取りこちらに向き直った同居人の放った言葉に驚愕した。

 

「今、救急車の呼び方を調べてる」

 

救急車の呼び方とは。電話と書かれたアイコンをタップして1を押してまた1を押したのち9を押せばいいのではないだろうか。しっかりしてくれ。もし目の前に血まみれの人が倒れていてもお前という人間はまずそうやって救急車の呼び方を検索し調べてしまうのか。1分1秒を争う局面であっても、まずwebブラウザを立ち上げて検索しなければ気が済まないのか。Googleに頼りきっている現代人の病気のようなものか。マジでしっかりしてくれ。

そんな同居人の検索の甲斐あり、無事救急車はやってきた。エレベータ-に担架が入らず、姥捨て山でばあさんを捨てるときに使ってた背負える椅子みたいなやつに乗せられて救急車に乗り込むが、正直、このあたりでもうすでに大坂冬の陣の再来かとも思われた腹痛の波はピークを過ぎ、桶狭間の戦いくらいになっており、救急隊員の方に「申し訳ない」と思えるくらいの心の余裕ができていた。

 

結果、急性腸炎ということで、医師にされるがままで点滴を受けたら痛みが信じられない速さで引いて行き医療の素晴らしさを実感した。そして深夜3時、タクシーに乗り、病院で処方された整腸剤とともに帰宅。疲労が溜まり、免疫力が低下した結果、恐らく腸に影響が出たのだろうと診断された私は、その日から新ビオフェルミンSを飲み始めたのであった。

 

ちなみにこののち、低下した免疫力は腸だけでなく膀胱にも悪影響を及ぼすこととなる。

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免疫力マジ大事。

 

 

 

膀胱炎になった話

10月中旬のある夜のこと、私は夢の中でトイレに行っていた。

 

トイレに行く夢はヤバい。これは私が28年間生きてきた中で身につけた知識の一つである。トイレに行く夢=おねしょにつながった経験、皆さんも少なからずあるのではないでしょうか。さすがに大きくなってからおねしょはしていませんけど、小さなころ何回も失敗してきているので、大人になった今でもトイレに行く夢を見ているだけでなんとなく怖い。

 

夢の中で、私は「ヤバいぞ」と思っていた。トイレに行く夢を見ていることに気付いたからだ。トイレから出なくてはならない、夢の中で絶対に用を足してはならない。それはつまり、おねしょにつながるからだ。ベッドのマットレスの替えなどない。早くトイレから出よう…! そう思い、私はトイレの出口を探したが、出口がどこにもない。閉じ込められた! と思った。現実の私は相当トイレに行きたいらしい。早く起きろ、起きて現実世界のトイレに行くんだ…! と強く思ったところで目が覚めた。

 

おねしょはしていなかった。危機管理能力高すぎるやろ…とほくそえみながらベッドから起き上がり、現実のトイレで用を足していると、いくつか違和感があった。まず、いつもよりも量が多い。「あら、まだ出るの?」と思わず話しかけそうになるくらい量が多かった。あとなんか色がおかしい。そして出しても出しても残尿感がある。体調が悪いのかな、今日は早く帰ろう、そう思いながら出勤したものの、電車の中でもとにかくトイレに行きたくて仕方がない。私が屈強な精神力を持って止めていたからいいものの、もう少し心が弱かったら危うく公衆の面前で漏らすところだった。

 

会社に着き、人としての尊厳を失う前にトイレに駆け込んだ私の尿道を襲ったのは、針で刺されたような鋭い痛みであった。同時に、

 

「ま”ッ…!」

 

という声が出た。けっこう大きめの。宇多田ヒカルの「ぼくはくま」という曲の最後の方、「ぼくはくま くく くま まま くま」という歌詞の「まま」の部分の歌い出しの感じにそっくりだった。

 

めちゃ激辛のキムチチゲが尿道から出てきてるんちゃうか、というくらいの痛みがあり、これは尋常じゃない、私の体内(というか尿道)で何かが起こっている、と強制的に理解させられた。

 

排尿し終わり、恐る恐る便器を見ると、そこにはピンク色の世界が広がっていた。誰か便器にバスクリンでも入れたの? と思われるほどにピンク色のそれは、私に「血尿」の2文字を彷彿とさせた。

その後、10分おきに尿意が襲ってくるようになる。仕事中なのに10分ごとにトイレに行く同僚がいたら、普段の私なら「なんだあいつ、サボってんかよ」と思うところだが、サボっているのではなく私は血尿なんである。トイレの中ですぐさま「血尿 和らげる」でググるも、「泌尿器科に行きましょう」しか出てこない。こちとら28歳の麗らかな乙女である。アジアンカンフージェネレーションの4人をこね合わせたみたいな男の上司に「血尿が出ているので今から泌尿器科に行ってきます」なんて言えるわけねえだろうがスカタンが。

ネットは当てにならない。そう思った私は、水を大量に飲み、とにかく毒素を出そうと思い立った。排尿時に尿道が痛い理由は、恐らく尿の中によくないものが混じっているせいだと思われる。ということは、尿をほぼ水にして毒素を薄めることで、痛みが軽減されるのではないか、と考えたのだ。ジーニアス。結果的にこれが効き、排尿時ずっと「ま”ッ…!」だったのが、排尿のラスト部分のみ「ま”ッ…!」となるだけに至った。

 

とはいえ、血は止まらないし、何なら色は濃くなり始めて、便器はピンクではなく赤くなるようになっていたので、次の土曜日に泌尿器科に行った。

 

泌尿器科には、おじいちゃんと若い男性がいた。一見共通点がないように見える3人だが、実のところ皆同じく泌尿器に難を抱えているのかと思うと、心強さを感じた。とにかく尿道の痛みをどうにかしてほしい。尿を検査して、原因を解明して薬を処方してくれ、私の尿を見てくれ!! 早く!! という気持ちを押さえながら、待合室で尿検査の結果を待った結果、私は膀胱炎だった。

免疫力が低下するとかかることがままあるらしい。抗生剤を処方され、私は5日間それを飲み、見事膀胱炎を克服した。案外簡単に治る。キムチチゲ放出状態だったのに。

 

皆さんに申しあげたいことは、膀胱炎は痛いので、すぐに病院に行きましょう、ということであります。すぐに病院に行けない場合は、水をとにかく大量に飲み、どんどん排出することで痛みを和らげることができる場合がございます。免疫力が低下すると、発症する可能性が高くなるので、普段から休息と栄養を取り、昼間は交感神経を優位にし、夜は副交感神経を優位にする努力をすることで、膀胱炎を未然に防ぐことができます。皆さんも健康には気を配り、健やかな排尿ライフをお送りください。

 

それでは。